天皇陛下は、皇太子時代の昭和39年に開かれた東京パラリンピックで名誉総裁を務め、当時、皇太子妃だった皇后さまとともに連日のように競技会場に足を運んで観戦されました。その後も障害者スポーツに強い関心を持ち続け、現在の全国障害者スポーツ大会が開かれるきっかけをつくるなど、皇后さまとともに障害者スポーツの普及と発展に心を寄せられてきました。
日本障がい者スポーツ協会に保管されている東京パラリンピックの報告書によりますと、天皇陛下は開会式で「わたくしは、この名誉ある大会の主催者側であることをうれしく思います。それは、この大会が、わが国の身体障害者に大きな希望と激励を与えてくれると思うからであります」と述べられたということです。
大会期間中は皇后さまとともに連日のように競技会場に足を運び、昭和天皇のきさきの香淳皇后を案内して車いすバスケットボールやアーチェリーを観戦されたこともあったということです。
閉会式では、皇后さまが、日本選手で初めて金メダルを獲得した卓球の選手などにみずからトロフィーを手渡されました。
報告書には、大会の終了後、お住まいの東宮御所に大会の役職員が招かれた際、天皇陛下が「今回のパラリンピックを見て、外国の選手は非常に明るく、体力も勝っているように感じました。日本の選手が病院や施設にいる人が多かったのに反して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行きとどいていると思いました。このような企てが行われたことは、身体障害者の方々に大きな光明を与えたことと思います。このような大会を国内でも毎年行ってもらいたいと思いますし、皆様もこれから身体障害者の福祉向上のためさらに一層努力されることを希望します」という趣旨のことばを述べられたと記されています。
そして、よくとしの昭和40年から、国内で全国身体障害者スポーツ大会、現在の全国障害者スポーツ大会が開催されるようになりました。
天皇陛下は平成2年に皇太子さまに公務を譲るまで、皇后さまとともにほぼ毎年、大会に出席し、最後の出席となった平成元年の第25回大会の開会式では「障害を持つ多くの人々が、スポーツを通じ、新たな人生を見いだしてこられたことと思われます。国民の間にスポーツを楽しむ人々が増加している今日、障害者のスポーツに対する理解も、さらに増進されなければならないと思います」と述べられました。
天皇陛下は、即位後も、誕生日前の会見でたびたびパラリンピックについて触れ、オーストラリアのシドニーで大会が開かれた平成12年の会見では、「かつて、身体障害者のスポーツは、リハビリテーションの一環として考えられていたことを考えると、このたびのパラリンピックを見る人がスポーツとして見ていることに深い感慨を覚えます」と述べられました。
また、平成10年の長野パラリンピックでは、皇后さまが選手の健闘をたたえるウエーブに参加されました。
平成27年には、両陛下は、大分県の障害者支援施設でパラリンピック出場を目指す選手の練習の様子や千葉市にある競技用車いすを製造する企業を視察されました。
また、両陛下は、春や秋の園遊会でもパラリンピックのメダリストを招いてお祝いとねぎらいのことばをかけ、平成28年からはJPC=日本パラリンピック委員会に奨励金を出すなど、パラスポーツの発展を願われてきました。
天皇陛下は去年の誕生日を前にした記者会見で「障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います」と述べられました。
皇后さまは、リオデジャネイロパラリンピックが行われた平成28年の誕生日にあたって寄せられた文書で、「前回の東京パラリンピックの終了後、陛下は、リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら、パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには、障害者スポーツが、健常者のスポーツと同様、真にスポーツとして、する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。今回のリオパラリンピックは、そうした夢の実現であったように思います」と振り返られました。
関係者によりますと、来年、再び東京で開かれるオリンピックとパラリンピックは、新たに天皇となる皇太子さまが名誉総裁に就任し、それぞれの開会式に出席して開会宣言をされる方向で関係機関による調整が進められているということです。
-- NHK NEWS WEB