被ばくで2人の作業員が亡くなった茨城県東海村の臨界事故から30日で20年になります。住民避難も行われ当時、国内最悪の原子力事故と言われましたが、事故を知る住民や関係者も減り、教訓をどう伝えていくか課題となっています。
臨界事故は、平成11年9月30日午前、茨城県東海村にある核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」で起きました。
バケツで核燃料の原料を混ぜ合わせるなどの違法な作業が行われ、核分裂が連続して起きる「臨界」が発生、男性作業員3人が大量に放射線を浴びて2人が亡くなりました。
会社は核燃料加工の事業許可を取り消され、安全管理を問われた当時の会社幹部と社員合わせて6人に、執行猶予のついた有罪判決が言い渡されました。
事故は原子力防災体制の不備も明らかにしました。
国と自治体、事業者の連携がうまくいかず、臨界の収束に1日かかったほか、避難の判断や指示を誰が行うかなどでも混乱がありました。
国は事故後特別措置法を作って国が主導して対応をとることを定めたほか、全国に「オフサイトセンター」と呼ばれる防災拠点を作るなど原子力防災体制を見直しました。
一方、20年の間に東海村役場では、事故を経験した職員が3割以下になったほか、当時を知る住民も減っています。
東海村の山田修村長は「トラブルや事故は今もあり、語り継ぐことが村の使命だ」と話すなど、臨界事故の経験と教訓をどう伝えていくか課題となっています。
-- NHK NEWS WEB