旧国鉄の改革を推進し、JR東日本の社長や会長を務めた松田昌士氏が肝臓がんのため亡くなりました。84歳でした。
松田氏は、昭和36年に当時の国鉄に入社し、国鉄の分割民営化にあたって、改革の推進役を務めました。
国鉄の再建実施推進本部の事務局長として、労働組合との折衝や、政府側との調整にあたり、後にJR西日本の社長となった井手正敬氏とJR東海の社長を務めた葛西敬之氏とともに「改革3人組」と呼ばれました。
昭和62年の民営化に伴ってJR東日本の常務取締役に就任し、平成5年からは社長を、平成12年からは会長を務めました。
平成17年に山形県のJR羽越線で起きた特急列車の脱線事故の責任を取って会長を辞任するまで20年近くにわたって経営の中枢として会社を率いました。
また、松田氏は、日本道路公団などの民営化の在り方を検討する政府の「民営化推進委員会」の委員を務めたほか、アマチュア野球を統括する全日本アマチュア野球連盟の会長を務めるなど野球界の発展にも尽くしました。
松田氏は、肝臓がんで療養していましたが今月19日に都内の病院で亡くなりました。84歳でした。
-- NHK NEWS WEB