自民党の参議院議員会長や労働大臣などを務めた村上正邦氏が、けさ、埼玉県内の病院で亡くなりました。88歳でした。
村上氏は、国会議員の秘書を経て、昭和55年の参議院選挙で、旧全国区から立候補して初当選し、4回連続で当選しました。
この間、平成4年に発足した宮沢改造内閣で労働大臣を務めたほか、自民党の参議院幹事長や参議院議員会長などを歴任しました。
また、平成11年に、当時、所属していた自民党旧渡辺派と旧亀井グル−プの合併で新たな派閥「志帥会」を発足させ、派閥の初代会長に就任しました。
平成12年に、小渕総理大臣が病に倒れた際には、当時の森幹事長、野中幹事長代理、亀井政務調査会長、青木官房長官とともに、後継の総理大臣に森氏を推すなど、政局の節目節目で影響力を発揮しました。
村上氏は、「参議院のドン」とも呼ばれ、豪快で人情味あふれる政治家として知られていました。
一方、みずからの支持団体だったKSD=中小企業経営者福祉事業団の元理事長が逮捕され、村上氏との関係が取り沙汰されたことから、平成13年に参議院議員を辞職しました。
そして、平成13年3月、東京地検特捜部に、KSDの元理事長から、国会の代表質問で事業の後押しを依頼され賄賂を受け取った受託収賄の疑いで逮捕・起訴され、平成20年に実刑が確定しました。
関係者によりますと、村上氏は、けさ、埼玉県内の病院で亡くなりました。
88歳でした。
-- NHK NEWS WEB