戦時中に計画されたものの、製造されなかった大型軍用機「富嶽」について、機銃などを搭載する「掃射機」の設計図が群馬県太田市で見つかりました。専門家は、当時悪化し始めていた戦局を打開するため、大型機の開発計画が具体的に進められていたことを示す貴重な資料だとしています。
「富嶽」は、太田市にあった中島飛行機が太平洋戦争中に計画した大型軍用機で、これまでに爆撃機と輸送機の設計図が見つかっていました。
今回、新たに本体に機銃などを搭載し、敵機や地上の施設などを攻撃する「掃射機」の設計図を、中島飛行機の創業家と交流のあった太田市内の自動車部品メーカーの経営者が保管していたことがわかりました。
設計図は、昭和18年に作成されたと見られ、2つの冊子に分かれています。このうち、「四發掃射機」と記された表紙の左上には、「極秘」という文字が確認できます。図面には、機体を正面や横、それに上から見た全体像が描かれ、プロペラの数は左右合わせて4つとなっています。また、ゼロ戦にも搭載されていた7.7ミリ機銃や、20ミリ機銃を搭載させることなどが記されています。
富嶽は、当時悪化し始めていた戦局を打開するため、アメリカ本土の攻撃を想定して計画されましたが、物資の不足や軍部との方針の違いなどから製造に至らなかったとされています。
太平洋戦争当時の軍用機に詳しい東洋大学の水沢光講師は「掃射機の開発が行われていたことは言われていたが、実際に図面が発見されたのは初めてではないか。爆撃機と輸送機に加え、掃射機の図面が見つかったことで、戦局を巻き返すため、『富嶽』の開発計画がより具体的に行われていたことを示す資料になる」と話しています。
-- NHK NEWS WEB