日銀の総裁として、平成9年に起きた「山一証券」の破綻など金融危機への対応に尽力した松下康雄氏が亡くなりました。92歳でした。
松下氏は兵庫県出身で、昭和25年に当時の大蔵省に入り、官房長や主計局長などを経て昭和57年から事務方のトップである事務次官を務めました。
その後、民間の「太陽神戸銀行」に転じ昭和62年には頭取に就任。「三井銀行」との合併交渉を取りまとめ、「太陽神戸三井銀行」、のちの「さくら銀行」の発足に大きな役割を果たしました。
そして、バブル経済崩壊後の平成6年、三重野康氏の後を継いで日銀の第27代総裁に就任しました。
総裁在任中は「山一証券」や「北海道拓殖銀行」など銀行や証券会社の経営破綻が相次いで日本が金融危機に陥り、松下氏は、金融機関の資金繰りを支え連鎖的な破綻を防ぐためいわゆる日銀特融を活用し、危機対応に尽力しました。
しかし、平成10年、日銀などを舞台に起きた接待汚職事件の責任を問われ、任期途中での辞任を余儀なくされました。
-- NHK NEWS WEB