ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった本庶佑さんの研究室に6年間在籍していた日本医科大学大学院の岩井佳子教授は成功までの20年間に多くの壁があったと話しています。
岩井教授によりますと、今回の受賞の理由になった免疫のブレーキ役となる物質の「PD−1」を発見した当初、その機能はわからず、研究室の40人余りのメンバーのほとんどは別の研究テーマを行っていました。
ただ、本庶さんは「何か必ず機能があるはずだ」として研究を継続し、「PD−1」が免疫の働きを抑えるブレーキ役を担っていることを突き止めます。
そうした中で、当時、大学院生だった岩井さんは「PD−1」が何か、がんに対して役割を持っているのではないかとする研究結果を見いだしました。当時は本庶さんと直接面談する機会が多くなく、この研究結果を手紙にして教授室のポストに入れると「おめでとう」と書かれた手紙が返ってきたということです。
岩井さんはさらに「PD−1」を抑えてマウスの肝臓にあったがん細胞の増殖を止めることに成功します。こうした研究を通して、本庶さんは「必ずがんの治療薬になる」と確信したと言います。
しかし、実用化には大きな壁が立ちはだかります。当時は免疫を使ってがんを治療するという考え方は下火になっていて、国内の製薬企業は開発に二の足を踏んでいたのです。それでも本庶さんは決して諦めることなく海外の企業にも相談するなど常に次の手を考えて行動し、最終的に「オプジーボ」を製造・販売することになる小野薬品工業との研究開発にこぎつけました。
岩井さんは本庶さんが大切にしてきた「好奇心、勇気、挑戦、確信、集中、継続」をそれぞれ英語で表したときの頭文字をとって「6つのC」が大切だという教えを今でも教授室に掲げています。そして、「本庶先生は、誰もその研究の価値がわからない時に自分だけが気が付くことが重要だと常々話していました。他の人にはない強い信念を持った研究者だからこそ、薬の実用化につながったのだと思います」と話していました。
-- NHK NEWS WEB